
鷹山が藩主になったときには、上杉家は、15万石の大名でありながら、昔のままの百万石の家臣を抱え(中略)負債は何百万両にものぼりました。税とそのきびしい取り立てにより住民は土地を追われて減り、貧困が全領を覆ったと聞いても不思議に思いません。米沢は羽前の南部に位置し、海岸はなく、土地の産出力と自然の資源の面では、日本でかなり悪いほうでした。
(中略)藩主の地位に就いてから2年後、鷹山は、はじめて自領の米沢に足を踏み入れました。それは晩秋のことで、ただでさえ悲哀のたちこめる状態であるところへ、「自然」が、さらにもの悲しさを添えていました。行列が、荒れ果てた、だれも顧みるものもないさびれた村を、一つまた一つ通るたびに、目の前に展開する光景を見て、多感な年若き藩主の心は深い衝撃を受けました。乗り物のなかで、鷹山が、自分の前にある火鉢の炭を一生懸命に吹いている姿を、供の家来が見かけたのは、そのときでありました。家来の一人が、
「よい火をお持ちしましょう」
と申しました。
「今はよい。すばらしい教訓を学んでいるところだ。それは後で言おう」
鷹山は答えました。
その晩、行列が泊まった宿で、藩主は供の家来を集めて、その午後に学んだ新しい、貴重な教訓を説明しました。「この目で、わが民の悲惨を目撃して絶望におそわれていたとき、目の前の小さな炭火が、今にも消えようとしているのに気づいた。大事にしてそれを取り上げ、そっと辛抱強く、息を吹きかけると、実に嬉しいことには、よみがえらすことに成功した。”同じ方法で、わが治める土地と民とをよみがえらせるのは不可能だろうか”そう思うと希望が湧き上がってきたのである」
『代表的日本人』内村鑑三(p.57)より。
鬼丸さんはよく、このシーンのことを語ります。
私も、情景が目の前に広がり、パチパチと炭火が燃える音が聞こえるような、大好きなシーンです。
17歳で藩主となり、炭火の場面は2年後とのことですので、鷹山は19歳です。
意気揚々と、やってやる!という意気込みを持っていたわけではないと思います。
若くして、そんな状況の藩のトップに就いた心細さ、そして、実際に領地に足を踏み入れ、寂れた現状を目の当たりにした不安感があったのでは、と思うのです。
「この土地を、藩を立て直すことができるのだろうか」
「本当に自分にできるのだろうか」
そんな思いがグルグルしていたのではないでしょうか。
そして、家来もまた「若い藩主が来たけれど、本当にこの藩主で大丈夫なんだろうか」「この若い藩主が、藩を立て直すことなんてできるのだろうか」と不安に思っていたのだろうと思うのです。
そんな中、鷹山の言葉は、家来たちにいきなり発破をかけるようなこともなく、不安感を共有しました。
と同時に、消えかけた炭火が復活することは家来も日常生活の中で経験していること。だからこそ、
確かにそういうことはある。
今の自分たちは消えかけた炭火かもしれない。それを放置していたら消えるだけ。だけれど、息を吹きかけることで復活することはできる。
確かに、自分たちも、この藩も、もしかしたらよみがえることが可能なのかもしれない。
そんな気持ちになったのではないかと想像するのです。
きっと、何か、大きなことに向かう人であればあるほど、大きなチャレンジ、大きな壁、困難だと思うような状況に出会うでしょう。
そのときに、無理矢理にポジティブに前向きになる必要もなく、ただ不安の中に、小さな小さな希望を見出し、それを大切に大切に大切にし、そっと辛抱強く息を吹きかけること、ただそれだけを支えとすればいい。
そんなふうに、鷹山公に背中を押されている気がします。
森本菜都美
